歴史
東京オリンピック開催前の1962年、大成建設を母体とした大倉財閥二代目総帥 大倉 喜七郎(おおくら きしちろう)が「もうひとつの迎賓館」として、日本の威信をかけ虎ノ門ホテルオークラ東京を建設。
岩田 清道(いわた せいどう。藤田嗣治・小山内薫の従兄妹)がホテルオークラ設計段階から意匠委員会として関わったのを機に、オークラ全館を飾る花の流派として「石草流生け花」を創設しました。
現在は、三代目家元として、奥平 清鳳(おくだいら せいほう)がその伝統技術を継承し、各方面にて石草流生け花の普及に努めております。